メキシコ 2010.03.09






北アメリカ大陸がヨ-ロッパ人の知るところとなり、交易まで始まったのは強い人間の欲によってなのです。

人が動かないと商品も動かないのですが、この欲は人間の開発の糧となっております。

イランの近くまでも傘下に治めていた モンゴル帝国が衰退すると、オスマン朝 トルコが ビザンツ帝国を滅ぼし、地中海の制海権を手に入れ、交易に高額の税金をかけるようになりました。  海外進出による利益が莫大! 名声と富を手中にすることができるという話が広がっており、 新アジアル-トの開発が渇望されるようになりました

ポルトガル は1460年 カナリア諸島を回り シエラレオンを探検 1497年 バスコダ ガマ が喜望峰に到達、インドへの航路の情報収集をしています。 

1498年 インドカリカットに到着 1499年には インドの製品をポルトガルに持ち帰り、  1543年には

種子島に漂流したポルトガル人が 日本に鉄砲を伝えました。 世界は丸いのですね。

鉄砲貿易は日本では盛んに行なわれていたので、このル-トもかなり使われたのですね。

この時代、全てが手動、電気も無く、航海は非常に苦しいものだったに違いありません。



H.I.S. CANCUN支店



1484年 ポルトガルに西回りのインド航路の開発を持ちかけ断られた クリストファ- コロンバスは

1486年  スペインの イザベル女王 からの援助の承諾をもらい、 1492年 バルセロナから出発。

1492年 10月 12日 バハマ 諸島のサンサルバド-ル島に到着。

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コロンバス自身も 3度 カリブ海には船をだしているようです。

メキシコ ではいやみ嫌われているコルナン コルテス は 1504年には サントドミンゴの市民権を得ており

1506年には キュ-バ遠征、 ナワトル人と交渉をしはじまったのは 1511年。 メキシコを スペインの

手に完全におとさせたのが 1525年。 猛スピ-ドで、世の中が変わっていきました。

1545年には サカテカス、 グアナファトで銀山を発見、 その後 ペル-のポトシ銀山の開発。

当時は金銀は 塊で運んだと記載がありますが、海賊が浅瀬の島々に潜んでおり

どれだけが船主に渡ったかさだかではありません。 何せ エリザベス 1世は、海賊を奨励し

金銀をスペインから奪っていたという。。。。其の証拠にヘンリ-モ-ガンは 総督にまでなっているではありませんか。   キャプテンモ-ガンの館が ホテルになっておりましたので、インスペクションに

いったことがありましが、 ベットは小さなはしごがなければ上に到達せず、ドアは 4Mはあったかな。

ガリバ-旅行記の巨人の国へ迷いこんだような感覚でした。

すごいところが、アカプルコからフィリピン、中国へ銀を積み、シルク、香料に変えて本国に持ち帰る

商売まではじまっていたというすごい開発能力です。

1722年ころまでには銀の産出量が落ち、 1778年には スペインの貿易船は廃止になったようです。

私達の祖先はこの200年の間に、手動だけで3つの銀山の銀を掘りつくしたのでした。

もしかしたら 数億年前から変化して、銀の山になっていたのに、200年で使ってしまいました。

欲も糧にすると開発能力が数百倍に発揮されるのかもしれません
 

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