ハワイ王朝タイトル


ハワイにはロイヤルファミリーがいて、現在もその子孫が存在します。今は普通の人として暮らしていますが、アメリカの州の一つになった今でも、ハワイアンの人々は大王の誕生日を祝い、また偲んでいます。

今月9月2日はハワイ王朝最後の女王 リリウオカラニ女王の誕生日でした。この日イオラニ宮殿には約5000人もの人が集まり、女王の169回目の誕生を祝うイベントでにぎわいました。
式典6
リリウオカラニ式典5

実際にカラカウア大王はバースデーパーティーを2週間も!行っていたそうです。さすがですね。さて、このハワイ王朝ですが、スタートから崩壊までが約100年、8代で崩壊してしまいます。

まず一代目はこの人、皆様よくご存知のキングカメハメハです


カメハメハⅠ

カメハメハを妊娠中にお母さんは『サメの目が食べたい』eyeと言った事から、これはただ事でないぞ!と噂され、生まれた時にもハレー彗星が目撃されている(これで生まれた年が推定された)など色々な逸話を持つカメハメハはマウイ島のカヘキリ大王の子としてハワイ島コハラで生まれました。そんな中ハワイ島のラパイ王は敵の血筋を絶つよう暗殺を試みます。(この当時はまだ各島に王がいました)

それを知った母親がこっそりカメハメハを山中に隠します。山中の寂しい場所で孤独に耐えながらも武芸に励み青年へと成長します。
ハワイ島の王になった時に、『孤独の人』カメハメハという名前がつけられるようになります。コレが由来だったんですね。

さ、時代背景ですが、1778年に偶然キャプテンクックがこのハワイを発見してから多くの外国人達が出入りするようになります。カメハメハはアメリカ商人から銃や大砲bombを手に入れ船乗りだった、ジョン・ヤングとアイザックデービスと言う二人のイギリス人から、武器の使い方や戦術を学びその後も軍事顧問として側に置きました。アイザックはその後殺されてしまいますが、ジョンはカメハメハにとても気に入られ、亡くなってからも王族の墓に埋葬されています。
こうしてカメハメハは、ハワイ諸島統一を成し遂げます。 

当時多夫多妻だった事からカメハメハには21人もの妻がいました。
そして妻の中で一番高貴な血筋のケオプオラニ王妃との間に出来た二人の王子の兄リホリホを後継者にし60過ぎで亡くなります。

カメハメハⅡ

1819年に王位を継承したリホリホですが体が弱くちょっと頼りない感じ・・・sweat02だった為、カメハメハの遺言で、カメハメハが寵愛していたカアフマヌを摂政におき、政治を行っていました。写真がカアフマヌです。

カアフマヌ そのカアフマヌ!カメハメハが律儀に守ってきたカプ(タブー)をとっとと廃止してしまいます。当時カプを破ったものは神から罰が下ると信じられていたのですが、カアフマヌ自らカプを破り罰がくだらない事を証明して見せます。 それであっと言う間にカプは廃止され無宗教となった所に、ダ~ンダ~ダダ~ンダ~ダダ~ン(ダースベーダーのテーマ)のごとくキリスト教宣教師集団がハワイへやってくるのです。なぜこんな曲なの?と思った方、最後まで見てくだされば分かります・・・。

この宣教師達は文字のなかったハワイに文字を普及させmemo、西洋式の生活を教えます。そして裸同然で踊るフラを禁止します。ハワイ語をアルファベッドに置き換えたのですが、通常26あるアルファベッドのうち、ハワイ語は12だけを使います。例えばRがないのでそれは全部Lに置き換えられます。
人の名前もMARIA→MALIAになります。ちなみにTOMOE→KOMOEに・・・。

さて、2世はその後結婚し妃と一緒にイギリスを訪問します。そこではしかにかかり帰らぬ人となってしまいます。しかも夫婦ともに・・・。ハワイアンは病気に対する免疫力がありませんでした。次から次へとやってくる外国人達が持ち込む病原菌にハワイアンの人口は今後急激に減っていきます・・・。

カメハメハⅢ


お兄さんが亡くなり1825年、わずか10歳で王位を継承した3世は最初の10年は摂政カアフマヌに政治を任せきりになります。まぁ当然ですよね、子供ですから・・・・。その後成長した3世は積極的に政治改革に乗り出します。
1840年ハワイ最初の憲法が設立されハワイは立憲君主国となります。

しか~し、1848年に宣教師団におススメされたグレートマヘレと言う土地分譲法を導入してしまいます!impact1850年に外国人にも土地の所有が認められると、あ~っと言う間にハワイの土地は外国人達のものとなってしまいます。あ~あ。気がついたときには時既に遅し・・・ですsweat01
白人達は牧畜、コーヒー、パイナップル、砂糖などの農業を盛んにし(勿論働くのはハワイアンと移民のアジア人)こうして白人の大富豪が出現するのです。
そんな中3世も病気にかかり亡くなります。

カメハメハⅣ


カメハメハ4世、名前はリホリホといいます。(2世と同じ名前です)兄ロットと一緒に1849年に欧米に旅行に行った際肌が黒い事から差別を受け、それ以来アメリカが大嫌いになりました。
なので彼が王についてからはアメリカ人顧問は一人もいなくなります。

1855年に王位を継承し、ジョン・ヤング(カメハメハの軍事顧問をしてましたね!)の孫のエマと結婚します。このクイーンエマは小さい時からイギリス式の生活をしてきたので彼女もやはり親英派でした。エマはとても綺麗で、服装もおしゃれで、このご夫婦はイギリスから来た貴族を招いてよく英国式のパーティーを開いていたそうです。

そうそう、この二人は今も残る歴史的な建物を建てているんですよ。
まず、英国正教教会の建立を要請しビクトリア女王より許可を得、セントアンドリュース教会を建てました。←豪華なステンドグラスで有名です。

セントアンドリュース教会

セントアンドリュー
▲リホリホ、エマ、アルバート王子がこのステンドグラスには描かれています。
セントアンドリュー

▲大聖堂の中の様子。
それと、クイーンズ病院を設立しました!←とても綺麗な病院で、現在は特に婦人科が有名です。

そんなお二人にアルバート王子が生まれます。
待望の王子!どれだけ嬉しかった事でしょう。



そんな当時の様子が伺えるのがエマのサマーパレスです。



ここはご家族が暑さと埃のホノルルでの厳格な宮廷生活から逃れる別荘として使用されていました。アルバート王子のお部屋には可愛いお人形が履くような小さな靴や、一日消防所長をした時に着た服、作り途中になってしまったマヒオレ(族長が被るヘルメットのような物)等縁の品がお部屋にそのまま飾られています。
なぜこのマヒオレが作り途中になってしまったかと言うと、アルバート王子はたった4歳で熱病の為亡くなってしまうからです。

アルバート王子が回復する様に、生贄(人)を捧げる儀式がパンチボールのヘイアウ(祭事場)で行われたりもしましたが、その甲斐もむなしくアルバート王子は帰らぬ人となります。(これが生贄を捧げて行った最後の儀式となりました)

この悲しみからⅣ世もこの1年後の1863年に、王子の後を追うように亡くなってしまいます。
相当ショックだった事が伺えますね。

カメハメハⅤ


ロットはリホリホの兄です。この頃病気が蔓延しハワイアンの人口は瀕死の状態になっていました。5世は3世の時に配布された憲法により削減された王の権力を復活させる為頑張りました!彼の性格は初代カメハメハ大王に似ていたと言われています。1866年にハンセン氏病蔓延の為、モロカイ島へ患者を隔離する法律を作ります。実施は結局次の王、ルナリロの時になります。
パウアヒ王女
この5世はとってもやさしくていい人だったそうなんですが、見かけが・・・という事でどうも女性にもてなかったsweat02最初、パウアヒ王妃に結婚を申し込みますが、断られ、後に結婚しなくてもいいから王位継承者になって~という申し入れも断られてしまいます・・・。このパウアヒ王妃はアメリカ人青年ビショップさんと恋に落ち、親の反対する中、なかば駆け落ち状態で結婚してしまいます。そして、結婚してるから!と言う理由で最後まで王位継承を断ります!
(なぜ、そんなに・・・)
しかし、王位継承はせずとも、周りの親戚などが死んでいくと莫大な遺産が入ってきました。そこで、ハワイアンの子供達に良い学習の場を与えたいと言う事でカメハメハスクールを設立します。その死後、その意志をついでビショップさんがビショップミュージアムを作ります!
最後まで、女性と縁のなかったカメハメハ5世は子孫・後継者を残すことなく病気でなくなってしまうのです。

そうそう、忘れちゃいけません。皆さんがハワイに来たら必ず写真を撮りに行く場所!カメハメハ大王像ですが、この後ろにある建物を建設したのがこのロットです。ここはハワイ王朝初の政府用建造物として建設したものです。実際に完成したのはロットの死後ですが、名前をイオラニ・ハレと言い、イオラニ宮殿の名前はここからきています。その後この場所はハワイ州最高裁判所として使用していましたが、現在は司法歴史センターとして一般開放されています。無料ですから是非行って見て下さい!
最高裁判所

このままハワイ王族は消滅してしまうのか・・・
王位継承の行方はどうなってしまうのでしょうか?!
後編に続く・・・


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