全体的に丸みをおびている、なんだか女性のような雰囲気をかもし出すこのマヤ遺跡。
こちらユカタン半島のジャングルにいくつか分散していたというマヤの都市国家の残した神殿のひとつ。
UXMAL遺跡(7世紀~11世紀頃) ウシュマル遺跡!!
1996年に世界遺産登録されている、メキシコ自慢の遺跡である
マヤの人々は、なぜ、このジャングルの中に石造の神殿都市をつくったのであろうか。
そして、この美しいピラミッドを残して、どこに消えてしまったのであろうか。
今回は、先週末に行ってまいりました、ウシュマル(UXMAL)遺跡についてご案内します。(暑かったですよーこの日のメリダ市内の温度・・・38℃でした。)
メリダ市内から南へ80kmほど。車で約1時間半ほどかけまして、ジャングルの中にひっそりとありますウシュマル遺跡に到着
この丸みを帯びたピラミッド、その名も、魔法使いのピラミッド
魔法使いのおばあさんが、大切に温めていた卵からかえった小人が一晩にしてつくりあげたという、伝説がございます。
しかーし実際は、300年もの長い時をかけ、時代ごとにつみあげられたピラミッドなのです。
魔法使いのピラミッド(正面)
正面階段の側面には、雨の神様が縦に12段積み上げられています。
そして、階段中央部にも、雨の神様隠れていました
全部で13の雨神様・・・。その名もチャアク。
写真右側→
魔法使いのピラミッドの西側正面階段の側面にある
雨の神様。なんだか、かわいらしい
魔法使いのピラミッドをさらに奥に進みますと、尼僧院があります。(実際の使用目的は不明)
東西南北に建てられた4つの建物により、中央に広場があります。
切石をはめこんで作られた幾何学模様に、雨神様の迫力ある顔が、壁の上部に過度に装飾されている。
見事だマヤの人々の職人技を感じます・・・。
この北の尼僧院の下には、王様の玉座?といわれる石像。
何やら、象形文字のようなものが・・・
残されたマヤの遺跡は、さまざまな伝説をもっています。
その伝説の背景をたどると、
マヤの多くの都市国家の間で、どのような交流がどの時期にあったのか、推測できます
このUXMAL遺跡は、マヤの後古典期とよばれる7世紀から11世紀あたりに栄えたといわれるマヤの都市国家が残したものと考えられています。
この後古典期のマヤ都市国家は、象形文字を使って後世に歴史を残すということをあまりしていない傾向があるという・・・。
そのため、UXMAL遺跡自体が、秘密を隠しもっている状態なのである。
まさに、神秘的な遺跡の一つ
西の建物にも、同じく切石の幾何学模様。
そこに、蛇と人物像が付け加えられています。
蛇の口からは、何やら、人間の顔が・・・・。
そして、その見つめる先には・・・生贄と考えられている人物像が・・・。
崩れ落ちている部分もありますが、見ものです
この他、東の建物、南の建物とございます。
壁の装飾も同様に大変見応えあり
←こちらは、南の建物の中央にある入口から、北の建物を望んだ場面です。
マヤ・アーチと呼ばれる矢印型の天井です。この天井には、マヤの神が手形を残しているという・・・。いやはや・・・。神の手はなかなか小さいのね。
さらに、南の建物のマヤアーチの奥を進みますと、球戯場があります。
こちらの球戯場では、ペロータという球技が行われていたそうな。
(チチェンイッツァ遺跡にもペロータ球戯場の跡がございます。)球技といえども、豊穣の神様に捧げる儀式だったようです。
亀。
亀・亀・亀・亀・カメ・カメ・カメ・かめ・かめ・かめ・・・・・・・・
カメが壁の上部についている建物。
その名も 亀の家 があります。
亀の数は52個。この数字は、マヤの人々にとって、とても重要な数字です。
それにしても、この亀の甲羅・・このカーブ・・・
またしても職人を感じます。やいやい。
そして、その先にひっそりと建てられている、ピラミッド。
大ピラミッド!!!!!
あと少し!
続いて、こちら、 総督の館。
こちらの自慢は、壁の幾何学模様。実に2万個以上もの切り石を使って幾何学模様をつくりあげているという・・・。
再び職人魂を感じます。
建物の中央には、ウシュマルを統治していた者と考えられる人物像があります。
頭には、当時、身分の高さを表すという立派な羽飾りのついた大きな冠のようなものをかぶっています。
はい。ということで、こちらで、遺跡内を軽く1週いたしました。御疲れ様でございました。
少しでも、マヤの遺跡を感じて頂けたら、嬉しく思います。
旅とは、実際にその目でよく観て、感じるものがいっぱいあります。
どうぞ、マヤの遺跡を直接感じて下さい。
VAMOS A UXMAL !!
雨の神様チャアクの横顔をどうぞ。