
前回の課題は、フランシスコ モンターニョ。
支倉常長以前にメキシコに来ていた謎の日本人でした。
彼らの足跡を辿り、色々と調べていると、色々と興味深い史実が。。。
南米大陸に初めて足を踏み入れた日本人。
その名は、フランシスコ ハポン。
フランシスコという名前は、キリスト教に改宗した名前、ハポンという苗字は当時、日本出身の人には、ハポンと付けられることが多かったようです。「ハポン」とはスペイン語で「日本」を意味します。
彼は、何処で何をしていたのでしょうか。
アルゼンチンで行われた奴隷売買契約書に彼の名が出てきます。
そうです、彼は奴隷として売られたのです。
その契約書にはこう記されています。
1596年7月16日付の奴隷売買契約書
「コルドバ、アルゼンチン在住の奴隷商人D ロペス デ リスボアがM デ ポーラス神父へ、日本州出身の日本人種、フランシスコ ハポン、21歳、戦利品(捕虜)で担保なし、、人税なしの奴隷を800ペソで売る。」
というように、当時、多くの日本人が奴隷として売られていたという史実に出会いました。
どのようにして、奴隷になったのか、日本に居て、誘拐されて連れて行かれたという可能性よりも、
当時、キリスト教迫害の影響により日本に居られなくなった日本人が、ルソン島辺りに追いやられ、そこで、奴隷として売買された、という可能性の方が高そうです。
いずれにせよ、どのようにしてはるばるアルゼンチンまで行ったのか、というのは謎です。同じようにチリにも日本人奴隷が売買されていたり、当時20人程、そういった記録があるそうです。
当時、コロンブスのアメリカ大陸発見以降、太平洋航路は確立されておりました。
日本人奴隷を買い求める商人がたくさんいたそうです。
ブラジルには、日本人と中国人の女性ばかり乗せた奴隷船が、メキシコのアカプルコへ向かっていた、という記録も残っているそうです。
日本人が奴隷として売買されていたという事実を知り、なんともいえない切ない気持ちになりました。
しかし、アルゼンチンのフランシスコ ハポンのその後を知ると、なんだか勇気が与えられました。
彼は何と、
「私は奴隷として売買される理由はない。従って自由を要求する。」として起訴し、2年後に裁判に勝ち、自由の身になったということです。その後、アルゼンチンのコルドバの町で暮らしたそうな。
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