
問題です。
「日本に一番初めに足を踏み入れたメキシコ人は誰でしょう。」
いや~、今回も難問ですね。
今回はヒントがあっても誰もわからないかも知れません。
長崎出身の方は知っているかも。
とりあえず正解は、
フェリペ デ へスス
です。
この人は、いったい誰なのでしょうか。
何故、日本に来たのでしょうか。
時は1596年7月、フィリピンのマニラからスペインのガレオン船サン フェリペ号がメキシコを目指し太平洋横断の徒についた。その船には船員以外に、7名の司祭も同乗しており、その司祭の一人が、メキシコ出身のフェリペ デ へススでした。
そうです、彼は宣教師として海外に出て布教活動をしていたのです。
その航海中に複数のにあい、サン フェリペ号は同年10月に土佐沖に漂着したのであった。
当時の日本では、豊臣秀吉によりバテレン追放令が発令されていたが、南蛮貿易の実利を重視していたため大規模なキリスト教徒迫害は行われていなかった。しかし、サン フェリペ号の漂着の際に、「スペイン人は他国を制圧するために宣教師を送り込んでいる。」といううわさを耳にし、禁教令が発令し、キリスト教徒を処刑するよう命じたのであった。
フェリペ デ へススは、海難事故によりたまたま漂着した日本で、キリスト教迫害の犠牲になったのでした。
大阪と京都でフランシスコ会とイエズス会の関係者24人が捕縛され、市中を引き回しされました。
その際に左の耳たぶを切り落とされたそうです。(秀吉の命令では耳と鼻を削ぐように言われていたそうです。)
その後、長崎で処刑せよと命令が下り、大阪から長崎まで歩いて向かうことになりました。その道中イエズス会とフランシスコ会の世話をしていたペトロ助四郎と、伊勢の大工フランシスコも捕縛されることになりました。二人はキリスト教徒として、己の信仰のために命を捧げることを拒絶しなかったそうな。
1597年2月5日長崎の西坂にて、26人の処刑が実行されました。
26人は後にカトリック教会により聖人の列に加えられ、彼らは、日本二十六聖人と呼ばれるようになりました。
日本人20名、スペイン人4名、メキシコ人1名、ポルトガル人1名。
この事件のことを「二十六聖人の殉教」という。
もちろんそのメキシコ人というのはフェリペ デ へスス。
メキシコ人初の聖人でもあります。
長崎の西坂には、二十六聖人記念碑が建てられております。
へ~
へ~
へ~
また、悲しい史実に出会いました。