
榎本殖民
前回の続き。
月の光に照らされて青白く輝き、茫々とした岩山を見て、移民団一行は呆然と立ち尽くすのであった。
約束された肥沃な土地は何処にも見当たらず、耕作可能なわずかな土地を見つけて、とうもろこしや野菜をの種をまくが、頼りなくひょろひょろと風にゆれて、穂がつく頃には牛や馬
に食べらてしまう。
移民団は当初の目的である珈琲を栽培しようとするが、チアパスでは珈琲の苗の植え付けは既に終わっており、苗も手に入らないという状態でした。
雨季に入り、近くに建てた小屋の中から、毎日降り続く雨脚を眺める日が続きました。
持ち合わせのお金も乏しく、苗を買うお金も無く、契約移民に支払われる給付金も一銭も支払われないままでした。
移民団の監督として同行していた草鹿砥技師が珈琲の苗を買うため、なけなしのお金を持ってグアテマラへ向かうが、グアテマラでは東洋人排斥法が出されており入国できず。
そのまま植民地には戻らずに、榎本に資金援助を頼むと言い残し、そのまま日本に帰ってしまったのであった。
移民団が必ず日本からの資金援助が来るはずだ
と送金を待っている時、榎本武揚
はとっくの昔に殖民計画を断念
していたのであった。
こうして日本最初の集団移民はわずか3ヶ月で終わるのであった。
榎本移民団は計画性も無く推し進められ、実際に移民を決意された方々に非常なまでの苦労を強いられ、悔しい思いをされたであろう。榎本武揚に騙されたといっても過言ではない。
こうして35人の移民団は、その後メキシコの血の中に溶け込んで行き、その子孫を探し出すことはもはや不可能になったのであった。しかし、メキシコ人の中には確実に日本人の血が流れている人がいる。
エスクイントラから3キロ離れたアカコヤグアという村。
そこの公園にひっそりと「榎本殖民記念碑」が建っている。
そこには日本語で「夏草や つわ者共の 夢の跡」と彫られている。
メキシコの日系人の方々が資金を集め設立したそうな。
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