
榎本殖民
おまけ
榎本武揚の無計画かつ無責任な計画により、35人の日本人移民は、メキシコ人の血の中に溶け込んで行き、その子孫を探す手立てもない。
しかし、メキシコには間違いなく体内に日本人の血が流れている人たちがいる。
HISカンクン支店事務所から徒歩15分。
PLAZA LAS AMERICASという、カンクンダウンタウンで一番大きく、賑わっているショッピングセンターがある。
その裏の小道に、僕の行きつけの屋台のタコス屋さんがある。
雨の日も、風の日も毎日休まずに、中年夫婦の方がタコス屋さんを営んでる。
そこのお勧めメニューは「タマル」という食べ物。
とうもろこし粉を水と石灰で練り、細長い団子を作り、中に鶏肉を挟み、とうもろこしの葉にくるんで蒸して出来上がったもの。
「緑のソース(辛い)」、
「赤いソース(ちょっと辛い)」、
「モーレ(カカオのソース)」
の3種類があり、辛い物好きの僕はいつも「緑のソース」をいただきます。千切りキャベツを和えて、さらに緑の辛いソースをかけていただく、これが非常においしい。うまい。そして、料金はたったの$6peso(約60円)。
立派なレストランにもタマルは売ってますが、この屋台のタマルが一番おいしい。
2005年、僕がまだカンクン支店で働くようになって間もない頃、同僚のカルロスに連れられていったのが初めで、それから病み付きになってしまった。
最初の頃は、観光客は誰も来ないようなところで、メキシコ人に混じって一人で食べていると、少々周りの目が気になったが、そんなことよりもとにかくおいしいので、通うようになった。
そんなある日。他にお客さんがいなくて、僕が一人で食べていると、そこのセニューラ(おばさん)が問いかけてきた。
「何処から来たんだい?」
「日本からです。」
「こんなところで何をしているの?」
「日本の旅行会社のカンクンの支店で働いているんです。」
「ああ、そうかい。
実は、私のおじいちゃんは日本人なんだよ。」
セニョーラは何処から見てもメキシコ人。でもそういわれれば日本人かな?
「おじいさんはここで何をしていたのですか。」
「私もよく分からないけど、どこかの日本人コミュニティから抜け出して来たんじゃないかしら。そしてこの町に流れ着き、住むようになったんじゃないかな。」
「へ~。そうなんですか。お名前は何と仰るのですか?」
「チマブコ」
「えっ」
「チ・マ・ブ・コ、分からないかしら?」
「そうですね。聞いたことは無い名前ですね。」
「あら、そうっ。でも、日本の家族も会いに来たことがあるのよ。
でも、そういえば、おじいちゃんに他にも何人か孫がいて、その中の女の子が、おじいちゃんのことをすごく嫌っていたわ。何でかっていうと、おじいちゃん全くスペイン語が分からなかったから。何も言っても通じないので、その子は本当に嫌っていたわ。」
見つけた
僕の推測では、恐らく日本人移民の方の一人ではないかと思う。
僕の記憶もあいまいで、スペイン語力もたいしたこと無いので確証は持てない。その当時勉強不足で、日本人移民のこともあまり知らなかった。
でも、そうだったら良いなと思う。
タパチュラからはるばると、ここカンクンまで流れ着き。この村に住み着く努力をし、そして恋をして、家族が出来き、その子孫の方々は力強く生きている。スペイン語は本当に分から無かったのだろう。言葉は出来なくても、恋は出来る。家族も出来る。名前も本当に「チマブコ」さんなのか、それとも、少し間違ってしまったのだろうか。
そんなことはどうでもいい。
そのセニョーラには確かに日本人の血が流れている。
それが分かっただけでも、僕はすごく嬉しい気分になった。
2010年。PLAZA LAS AMERICASというショッピングセンターが拡張されて、その裏の小道でタコスの販売が出来なくなった。今、セニョーラは何処にいるのだろうか。
最後にもう一度、セニョーラのタマルを食べながら話を聞きたいな。