3月 21日 は ベニ-ト フアレスの 誕生日 です。 15日は ハッピ-マンデ-でした。
メキシコの国民は ベニ-ト フアレスの誕生日をお祝いします。
建国の父、先住民出身の大統領、民主主義、インディオの平等な権利、教会の政治への影響力を少なくするよう働きかけ、病院、学校の建設に尽力した人物です。 メキシコで最も偉大、最も尊敬されている、最も愛されている大統領です。
その他 個人的には、78年の腐敗政治に終止符が打たれた時に、PAN 政党に
政権を平和的に渡した セデ-ジョ 大統領、 メキシコの 大きなパパとでも言うようなフォックス大統領が
竹を割ったような演説と実践で尊敬しております。 現在のカルデロンは身動きがとれないような
政策しかできず、応援していただけにがっかりしております。
其の外は、任期が終わってみると、国のトレ-ジャ-が消えてしまったいた大統領。
次の大統領候補を家族に暗殺させた大統領。
個人の利益を最優先させ、国民をこころみない大統領のオンパレ-ドでした。
ロッキ-ドで尋問を受けた日本の首相の袖の下は3億円だったと言われていると話した時に、
メキシコの知人は日本の首相は そんな金しかとらないのか、メキシコの大統領は
役所、国営の企業で働く人の年金を根こそぎ盗んで他の国にいったぞ!と
お国自慢??をしておりました。
隣国の前任の大統領も負けじと、自分の利益、自分の取り巻きの利益のみを考え、経済大国を
情けない状況に追いやっており、ごみの様な金権をレイトエ-ジェンシ-のお墨付きで他の国に
おしやり、腐った銀行家が人の金も自分の金も一色たんにして
最後には税金で赤字を消して上げるという、大無法地帯を築き上げた方です。
ベニ-ト フアレスは サポテカ インディオの血が流れ、 4歳の時に両親を亡くしております。
12歳までは 農家の手伝いをし、スペイン語も話せなかったといいますが、オアハカの都会での
職をみつけ、牧師に知性と熱心さを認められ、新学校への入学を勧められます。
そこで法律を学んだ ベニ-ト フアレスは 弁護士、裁判官になりオアハカの州知事まで務めました。
これだけでも素晴らしい!出世物語ですが、ここで サンタアナの腐敗に反対、投獄されてしまいます。
アメリカ亡命後帰国を果たし、法務大臣に任命され、 軍人、僧侶の特権廃止案を提出し、ロ-マ教皇
から破門されます。 (なんと 生臭坊主だ! 神に仕える身、ただでさえも税金がただなのに
何を血迷っているか) 内戦後 再度アメリカに亡命、、、何と臨時政府の樹立宣言。
ここがメキシコのふくざ------つな勢力争いです。 1860年 アメリカの支援を受けて帰国、
大統領に就任。
アメリカの内政干渉もベニ-ト フアレスへの援助 であれば大歓迎!ですが、 中東の第二次世界大戦後
ずうずうしく出来た国への援助のお陰で、世界中が多大な迷惑をかけられており、最近もずうずうしい
テロ政党の首相から顔に泥を塗られたばっかりでが、なぜかテロ政党への非常に柔軟な姿勢。 個人の自由を守るために、違法の麻薬検査を実施しない2枚の舌もお持ち合わせなので理解もできますが。