チチェンイッツァ遺跡

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遺跡好きでもなくても楽しめる チチェンイッツァ遺跡

みなさん「マヤ文明」をご存じですか?

マヤ文明は紀元前3000年頃から16世紀にわたって繁栄したと推定されています

マヤ文明が最も栄えていた時代のひとつである後古典期マヤの遺跡である

チチェンイッツァ遺跡」は、1988年にユネスコ世界遺産に登録され、

世界7不思議の1つでもあります。(2007)

チチェンイッツァ遺跡は第7位で、

第6位はペルーのマチュ・ピチュ

第3位はイタリア・ローマのコロッセオ

第2位はインドのタージ・マハル

堂々の第1位は中国の万里の長城

このランキングは世界中からの投票で決められます

中国の人口のことが頭に浮かんでしまいますね.....

ではでは、マヤ文明遺跡ツアーへ

まず最初に目に入ってくるのがこちらの建物

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通称「カスティーヨ」(スペイン語で城塞の意)。

ククルカンのピラミッド」、「ククルカン」の神殿とも呼ばれています。

まだまだ呼び方はあり........

このピラミッドはマヤ暦の1年を表すことから、「暦のピラミッド」とも呼ばれています。

さらに他にも呼ばれ方があり.......

この建築が当時あらゆる働きを担い、大変重要な存在でだったことを感じさせてくれます。

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当時は多くの人がこの地に足を運びました

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近くで見るとこの迫力!

この階段は何のため?

この階段こそがこの遺跡が「暦のピラミッド」と言われる理由。

この階段を実際に数えると、

「暦のピラミッド」と呼ばれる理由が分かります。

きっと当時の文明の発達と建築技術の高さに度肝を抜かれます

「ククルカンの降臨」

また写真からでもじりじりと感じる太陽

当時の人は実際にこの太陽の日差しを使いピラミッドの階段西側に

ククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)を現れるようにした

当時の粋な考え方と天文学の知識にびっくりです

勝っても負けても首を切られる?

マヤ文明はいけにえの文化をもっていました

チチェンイッツァ遺跡には

・いけにえの泉

・いけにえの神殿

・いけにえの球技

などいけにえを象徴する歴史が残っています

この写真の輪がなにかわかりますか?

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この輪は当時行われていたスポーツで使われていて、

手を使わずにゴムボールを輪に入れるという

まさにサッカーとバスケットボールを融合させたような競技!

このゴムボールは3キロほどあったと言われ、

ひじ・ひざ・こし骨でボールを扱ったとされています

もちろんプロテクターを装着して競技を行っていました。

しかし!

試合に勝とうが負けようが、どちらかのリーダーは首を切り落とされるという......

誰がこの競技をしたいんだと疑問になります.....

一説によると勝者のリーダーが首を落とされた説が濃厚だとか

みなさんはこの命がけのスポーツ実際にプレーしてみたいですか?

私はしたくありませんが、当時の人の考えは

勝った方が価値がある者とされ、

「神へのいけにえは名誉であり、天国への道が約束されている」

と信じられていて、いけにえへの志願者は多く、競う程だったのだとか.....

この考えならいけにえになる為に

両チームとも勝つために熱い戦いが繰り広げられたことも想像できますね、

信じ難い話ですが、当時の人たちはそう信じていた。

今私たちが普通だと信じていることも、

未来の人類の考え方からすると、ありえないことなのかもしれませんね。

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これは当時いけにえとなった人たちの頭蓋骨

マヤ文明には人食いの文化があったという説もありますが、

ものを粗末にしないという概念から来ているのだとか

また当時の人は生まれたときから頭蓋骨を板で挟み、頭蓋骨を伸ばしていました。

なぜなのか.....

彼らは頭をとうもろこしの形と同じ形にしたかったそうです

.....

マヤ人は人間はトウモロコシからできていると考えていたそうです

また歯をギザギザにしたり、歯にひすいを埋め込んでいました。

この2つはお洒落地位の高さを表す為のものでした。

さすが世界7不思議に選ばれるだけあります。

また当時の球戯場やジャガーの神殿、天文台も見ることができます。

ツアーに参加すると、日本人ガイドが遺跡内を当時のいけにえの凄まじい事実や

人々の価値観や生き方を楽しく、わかりやすく説明しながら案内してくれます!

ぜひ訪れてみてください!

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