¡Hola!リカルドです。
今回は、最近では写真映えする黄色の街としても知られている「イサマル」についてご紹介します。
イサマル(マヤ語では“Itzmal”:天からの露という意味)は、メキシコの都市であり、ユカタン州にある同名の自治体(州を構成する106のうちの1つ)の長です。
イサマルの街は、メリダの東66.5km、チチェン・イッツァの北西約60kmに位置しています。
「丘の街」として知られているのは、その領土内に5つの大きなマヤのピラミッドがあり、その中には、長い間、公開される前に、地元の人々によって「丘」と考えられていた重要な考古学的遺跡があるからです。
また、イサマルの街の歴史家が指摘するように、前ヒスパニック、植民地時代から現代のメキシコまでの旺盛な文化遺産を持つことから、「3つの文化の街」とも呼ばれています。
歴史
イサマルは実はマヤ文明の重要な遺跡の一つです。かつてユカタン半島北部の平原にある大規模な集落でした。その建物の大きさとサクベ(古代マヤ時代に作られた白い道)のネットワークは、この都市がマヤブの広大な領土に対して宗教的、政治的、経済的な力を持っていたことを証明しています。
その建物は巨石をブロックにして建設し、角は丸みを帯びるようにモールディングを加工した特殊な建築技術を開発しました。
紀元前750年頃から人類の入植が始まったと推定されていますが、紀元550年頃にバカラール(後のイツァ族と呼ばれる)から来たマヤ系民族のチャネス族が来たことで都市が成立したとされています。スペインからの征服前まで人が住んでいました。
チャネス族と共に入植したザムナ司祭は、ここに住み続け、死去しました。後にマヤの霊廊で聖徒として称えられました。
多くの大都市や人口の中心地と同様に、イサマルも12世紀頃のポストクラシカル期(メソアメリカ時代)にマヤパン同盟が滅亡した後、部分的に放棄されました。このため、スペイン人が到着したときには、その場所は実質的に無人でした。
ただ、イッツァの神父であるイッツァムナ(ザムナ)が崇拝されていたため、重要な巡礼地となっていました。
そして、スペイン人の到着と同時に、この都市が宗教的に重要であることから、その5つの偉大なピラミッドの1つの材料を使用して、大規模なフランシスコ会修道院を上書きするように重ねて建設する動機となったのです。
まだまだ後編に続きます。
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リカルド