H o l a! 現地インターン生の リョウコ です!

今日紹介するのは、メキシコシティーから南へバスで2時間ほどの場所にある"プエブラ"です。

プエブラは先住民文化とヨーロッパ文化の共生がうかがえる街で、メキシコシティやカンクンとは一味違った街です。旧市街地は世界遺産認定されています!

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チョルーラの遺跡

プエブラからすぐ隣の小さな村"チョルーラ"に、面積が最大級と言われるピラミッドとその上にはロス・レメディオス教会が建てられています。またすぐ横にはチョルーラ市博物館があり、小さいですがチョルーラの歴史だけではなく、メキシコの幻想的な作品が展示されており、プエブラ滞在中のオススメスポットです。写真は博物館からとったロス・レメディオス教会です。

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パリアン市場

プエブラでお土産を買うならパリアン市場(mercado El Parían)がおすすめです。メキシコの民芸品やお土産を扱う店がたくさんあります。

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アフリカン・サファリ

プエブラから車で40分ほどのところに位置し、5000匹、450種以上の動物がいます。特に鳥の種類がたくさんいた印象があります。鳥のふれあいコーナーやバードショウがおすすめです!

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ぜひ、メキシコへ旅行される方はプエブラ観光をお勧めします!

H.I.Sではメキシコシティからのツアーも提供しております!今回紹介したチョルーラ遺跡へ行くことができますよ!

プエブラツアーはこちらから

https://activities.his-j.com/TourLeaf/MEX0050/

Nos vemos!!

¡Hola!リカルドです。

 

イサマルの街の魅力後編続きます〜

 

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イサマルのピラミッド「キニチ・カクモ」KINICH KAKMO

 

 

キニチ・カクモと呼ばれるピラミッドは、かなり遠くからでもその姿を見ることができます。

 

巨大な台座の上に建てられたマヤの太陽神に捧げられた10層の巨大な建造物です。

 

南東には、イッツァマトゥルと呼ばれるもう一つの大きなピラミッドがあります。中央広場の南西側は、フン・ピク・トクと呼ばれる別のピラミッドに囲まれ、西側はカブール神殿に囲まれたパブリックスペースとなっています。

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1840年代にフレデリック・キャザーウッドがジョン・ロイド・スティーブンスによって出版された絵を描いたときまで、その一面にはイッツァムナー神の大きな漆喰の仮面が残っていました。

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これらの墳丘はすべて、元々は一連の神殿や宮殿を支えていた建物が何世紀にもわたって重なり合っていたことを物語っています。

 

修復され、訪れることができる他の重要な建造物は、Tuul(ウサギ)、Habuc、Chaltun Haとして知られています。

 

フランシスコ会修道院が、今日建っているイサマルの中心部には、パプ・ホル・チャックピラミッドがかつてありました。

 

スペインの征服者が到着する前は、マヤの領地であったAh Kin Chelと呼ばれる地域の一部でした。そして長年の調査の結果、都市部とその周辺地域では多くの考古学的構造物が発見されているのです。

 

 

街中で遺跡とピラミッドが楽しめるイサマルにぜひ寄ってみてください!

黄色い街イサマル&バジャドリ散策

 

 

リカルド

¡Hola!リカルドです。

 

  

今回は、最近では写真映えする黄色の街としても知られている「イサマル」についてご紹介します。

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イサマル(マヤ語では“Itzmal”:天からの露という意味)は、メキシコの都市であり、ユカタン州にある同名の自治体(州を構成する106のうちの1つ)の長です。

 

イサマルの街は、メリダの東66.5km、チチェン・イッツァの北西約60kmに位置しています。

 

「丘の街」として知られているのは、その領土内に5つの大きなマヤのピラミッドがあり、その中には、長い間、公開される前に、地元の人々によって「丘」と考えられていた重要な考古学的遺跡があるからです。

 

また、イサマルの街の歴史家が指摘するように、前ヒスパニック、植民地時代から現代のメキシコまでの旺盛な文化遺産を持つことから、「3つの文化の街」とも呼ばれています。

 

 

歴史

 

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イサマルは実はマヤ文明の重要な遺跡の一つです。かつてユカタン半島北部の平原にある大規模な集落でした。その建物の大きさとサクベ(古代マヤ時代に作られた白い道)のネットワークは、この都市がマヤブの広大な領土に対して宗教的、政治的、経済的な力を持っていたことを証明しています。

 

その建物は巨石をブロックにして建設し、角は丸みを帯びるようにモールディングを加工した特殊な建築技術を開発しました。

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紀元前750年頃から人類の入植が始まったと推定されていますが、紀元550年頃にバカラール(後のイツァ族と呼ばれる)から来たマヤ系民族のチャネス族が来たことで都市が成立したとされています。スペインからの征服前まで人が住んでいました。

 

チャネス族と共に入植したザムナ司祭は、ここに住み続け、死去しました。後にマヤの霊廊で聖徒として称えられました。

 

多くの大都市や人口の中心地と同様に、イサマルも12世紀頃のポストクラシカル期(メソアメリカ時代)にマヤパン同盟が滅亡した後、部分的に放棄されました。このため、スペイン人が到着したときには、その場所は実質的に無人でした。

 

ただ、イッツァの神父であるイッツァムナ(ザムナ)が崇拝されていたため、重要な巡礼地となっていました。

 

そして、スペイン人の到着と同時に、この都市が宗教的に重要であることから、その5つの偉大なピラミッドの1つの材料を使用して、大規模なフランシスコ会修道院を上書きするように重ねて建設する動機となったのです。

 

 

まだまだ後編に続きます。

 

 

こんな歴史あふれるイサマルに寄るのにぴったりのツアーはこちらから!

黄色い街イサマル&バジャドリ散策

 

 

リカルド

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2024.10
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