11月 20日は革命記念日でした。 2年前までは休みでしたが、 政府が変わって休みもハッピ-マンデ-制を
とるようになり。 20日 (木曜日)は 通常営業、 代休で 16日が休みとなっております。
中には やはり20日も休みにした方が良いとの案がだされ、国会で討議までされました。。。。が何とメキシコらしい。 ただ!!!! 独立記念日の9月16日と メ-デ-の 5月1日、クリスマス 12月25日は
変更無しです。 其の日にお休みとなります。
大都会のメキシコシティ-は 革命記念日は休み、パレ-ドも一緒の日ですが、ここカンクンまでくると
トラディショナルを大切にします。 20日にパレ-ドがあります。
下記パレ-ドの様子です。 メキシコ革命も多分に漏れず、独裁政権に蜂起した民衆が起こしたものですが、
1911年から 1934年までがたがたしておりました。 悪の根源 ポルフィオ ディアスが外国資本に
国の産業を売り渡し、農地改革までし、農民の99.5%までが農地を失いました。これだけ聞いても
とんでもないひどい奴だと思いますが、蜂起を扇動したボス達がまた自我の塊の連中で
これぞメキシコの土台という映画より複雑で知れば知るほど深い。
ポルフィオ ディアスの側近(側近は体制が弱いとわかると敵に寝返った)を味方につけ、ディアスを失脚させたフランシスコ マデ-ロ、ただ彼は農民に土地を分け与える気などさらさら無く、当然民衆からは悪評が立つようになった。
今度はそれを利用し、アメリカの政府を通し反乱軍と結んでいた ウエルタ将軍がなななんと マデ-ロ大統領を
殺害し、自分が大統領の地位に着いた。 そのウエルタ将軍に殆どの派が反旗を翻し、モレ-リアのエミリオ サパタ、(農地改革推進派) フランシスコ (パンチョ) ビジャ (大農地主政策反対派) の 長いヒゲの
勇士達の登場となります。 この 突撃部隊とカランサ知事とオブレゴン将軍の知恵と権力をもった
部隊のくっついたり離れたりの結果、エミリオ サパタ、 パンチョ ビジャ の農民の労働権利を主張を
沢山盛り込んだ憲法を カランサ と オブレゴン が中心となって作成するのでした。
1917年 メキシコの憲法が制定された後も、 エミリオ サパタ、 パンチョ ビジャ カランサ知事が
暗殺され、 オブレゴン将軍は 憲法を改定し大統領を 2期務め、ポルフィオ ディアスと同様の
血みどろの独裁政治をとるのでした。。。。 1934年 オブレゴン大統領の死後、 カルデナスが 大統領に
就任し、。。。。短い間は良かったが、再度 腐敗政府に逆戻りと兎に角堂々巡りの腐敗政治の
歴史です。 ただ73年続いたPRI政党が破れ、PAN政党がここ2期続いて政権を取っております。
この2人の大統領はこの長い腐敗政治にピリオドを打った大統領で、其の勇気に感嘆させられます。
まだまだ戦いの途中ではありますが、是非 憲法改正を!と望みます
1917年に設定された憲法は現在の状況に全くあっておらず、 こんな馬鹿げた事があるのかとあきれることが多く、スモ-ルビジネスの発展を大きく阻止する原因となっています。
こんなに地下資源があり、仕事をした人間もこんなにいるのに、この人たちを成長させない要因にもなっており
どうにか憲法の改革をと願っております。(私が望んでもどうしようもないのですが)
写真の元気の良い、明るい笑顔の子供達が変えてくれることを望みます。