
前回の問題は、「メキシコ人で日本に一番最初に足を踏み入れた人は誰。」
正解はサン フェリペ デ へススでした。
そして、サン フェリペ デ へススに関して調べていくと興味深く謎めいた史実に出会うのでした。
場所は、メキシコシティから南へ約75KMのところにあるクエルナバカという町。
「常春の楽園」と呼ばれ、メキシコシティのお金持ちの人たちが、クエルナバカに別荘をかまえ休日をすごす場所でもあります。
時は1959年(そんなに昔じゃない)その町の大聖堂の壁の一部がはがれ修復作業をしようと、さらに壁をはがしていくと中から壁一面のフレスコ画が現れました。
そこには、馬車に乗せられた捕虜らしき人々と、その周りを取り囲む槍や刀を持った人たちが家々の間の通りを進む様子、多くの舟に乗せられた捕虜らしき人々、そして十字架にかけられた人たちが槍で刺される様子が描かれておりました。
その上方には
「EMPERADOR TAYCOSAMA MANDO MARTIRIZAR POR...(以下不明)」と書かれてありました。
その意味するところは、
「太閤様が殉教を命じ。。。」ということです。
そうです。この壁画は長崎二十六聖人殉教を描いたものなのです。
しっかりと豊臣秀吉を表す「TAYCOSAMA(太閤様)」という文字が書かれておりました。
この大聖堂が建てられたのは1552年、長崎二十六聖人殉教は1597年。
長崎での悲しい出来事は世界中に報じられたのでしょう。
もちろん現代のようにテレビ、ラジオはありませんから、人づてにつたえられたのでしょう。
何と、南米ボリビアのスクレにあるラ・レコレータ修道院の合唱隊席の背もたれ部分にも、日本の二十六聖人の一人一人が十字架に架けられている姿の彫刻がされております。いつこの彫刻が彫られたのかは不明ですが、この修道院の建築は1601年です。
サン フェリペ デ へススの出身地は明らかではありません。何故、クエルナバカの教会の壁にフレスコ画が描かれたのでしょうか。いつ頃描かれたのでしょうか。誰が描いたのでしょうか。謎に包まれたままです。
当時メキシコでは、疫病が流行すると、壁を塗りなおす習慣があったそうです。
この壁画も、その習慣により、壁の中に塗りこめられ、そして時と共にその存在を忘れられたのでしょう。
それが、1959年修復作業の際に発見されたということです。
へ~
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1613年にメキシコに来た支倉常長一行は、この壁画を目の当たりにしたのでしょうか。
アカプルコに到着し、メキシコシティに向かう旅人は必ずこのクエルナバカで途中寄宿していたそうな。