2010.02.17

前回の続き。


1511年神々の生贄にされる囚われの身から逃げ出したヘロニモ デ アギラールゴンサロ ゲレーロ

もともと船乗りで腕っ節にも自信rockのあったゲレーロは、マヤの文化に溶け込んで行き、チェトゥマルの村の首長に指揮官として仕え、身分の高いマヤ人の女性と結婚し、子供を3人もうけるhappy01のであった。

フランシスコ会の修道士であったアギラールは、マヤの文化。神々を崇拝し、生贄を捧げる宗教感に馴染めず、奴隷としてマヤ人に使えながらマヤ語を覚えていくのであった。


それから8年後のこと。

1519年。後にメキシコの支配者となるエルナン コルテスが500人の兵を引き連れメキシコ湾のベラクルスという町に上陸した。ship

原住民の中にスペイン人がいるという噂を聞いたエルナン コルテスは早速、そのスペイン人の協力を得ようと使者horseを送るのであった。

エルナン コルテスの使者に会ったアギラールは、マヤ文化に馴染めなかったこともあり、すぐに了承し、エルナン コルテスと共にメキシコ征服のために戦うのであった。


アギラールがエルナン コルテスの下に行く前に、親友であるゲレーロにも声をかけた。

友よ、共に故郷に帰ろう。一緒にスペイン軍に入りメキシコ征服に参加しようではないか。」と。


それを聞いたアギラールは

友よ、私の身なりを見てくれ。私はマヤと共に暮らし、マヤの風習に従い、マヤと同じ服を着、刺青をし、飾りもつけている。

そして、私にはマヤの女性との間に3人の子供ももうけた。私はここに残り、マヤのために生きる。」と。


その後、アギラールはエルナン コルテスの通訳としメキシコ征服に貢献するのであった。

そして、ゲレーロはマヤ人とスペイン軍との戦争の際、果敢にマヤの指揮官として戦うが、スペイン軍の撃った弾にあたり、命を落とすのであった。


史実に基づいた悲しい物語である。


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