¡Hola! Ryokoです。
メキシコの女流画家といえば、この方、フリーダ・カーロ。
そのカリスマ性と激動の人生から、メディアでも何度も取り上げられていますが、彼女の人生を改めて振り返ってみましょう。
フリーダ・カーロ(Frida Kahlo、1907年~1954年)
20世紀のメキシコ現代絵画を代表する女性画家。心身の苦しみを表現した特異な自画像と、文化人を魅了した華麗な遍歴で知られています。
また、メキシコの民族衣装を身に着けた美しい姿とその情熱的な生涯から、国内外にカリスマ的な人気を誇り、現代の女性にも人気があります。
力強く生きるフリーダ・カーロの名言
シュルレアリスム(超現実主義)の創始者アンドレ・ブルトンがメキシコを訪れた際、フリーダの作品を見てこれこそ超現実だと狂喜しました。
それに対してフリーダは、「私は夢なんて描いたことはない。私は自分自身の現実を描いているだけ」と述べました。
この言葉は、苦しみに満ちた現実を正面から見つめるフリーダの姿勢と、権威に媚びない彼女の姿勢を表す言葉として、フリーダの生涯を語る際によく引用されます。
生い立ち
フリーダ・カーロは1907年にメキシコシティ―近郊のコヨアカンに生まれました。
父親はドイツから移民したハンガリー系ユダヤ人の写真芸術家で、母親はインディオの血が流れるメキシコ人でした。
1910年から1940年は内戦がともなうメキシコ革命の時代。同時代のメキシコに生きたフリーダ・カーロの人生には、常に死と苦痛の影が付きまといました。
フリーダは、6歳のときにポリオに感染し足が不自由となりますが、さらに17歳のときバスの事故で瀕死の重傷を負い、生涯を後遺症に苦しみます。
手術は30回を超え、さらに結婚してからは流産を繰り返しました。晩年は片足を切断し、47歳の短い生涯を閉じました。
フリーダとディエゴ
ベッドにいる時間が長いことが、フリーダ・カーロが自画像を描くきっかけとなりました。
交通事故から4年後の1929年、フリーダ22歳のとき、21歳年上のメキシコ人画家ディエゴ・リベラと結婚します。
ディエゴは革命の動乱期が終わった当時、革命の意義を壁画に残すメキシコ壁画運動で活躍していた英雄的な有名画家でした。
結婚生活の中で、フリーダは数回の流産やディエゴの度重なる不貞に苦しみます。ところがフリーダ自身も、その絶望から逃れるため奔放な恋愛を繰り返しました。
強烈な自我の表明と、悲痛な叫びにも似たすさまじい表現からなる自画像の多くは多くの人を魅了し、映画や書籍が作られ続けています。
フリーダ・カーロの生家で終の棲家となった「青い館」と呼ばれる家は、フリーダ・カーロ美術館として公開され、世界各国から訪問者が訪れています。
フリーダの軌跡を振り返る青い館へのツアーはこちらから
Ryoko