¡HOLA!
イスラエルです。
今回は年末のライブ祭りでも取り上げた、「ロス・カボス」について紹介します!
バハ・カリフォルニア・スルは、カリフォルニア湾と太平洋の素晴らしさに囲まれた州であり、2つの海の間の真の楽園となっています。おそらくそれが、NationalGeographic誌が、メキシコで訪問すべき場所の1つとして選んでいる理由です。
ロス・カボスはバハカリフォルニア半島の南端に位置し、砂漠の風景、ビーチ、山岳地帯がダイナミックに混ざり合っています。
旅行のタイプに関係なく、ロス・カボスは素晴らしいビーチからメキシコ北西部の砂漠まで、最もリラックスできるものから最も冒険的なものまで、そして最も安いものから最も豪華なものまで、すべてのスタイルと好みに理想的です。
のんびりとしたロス・カボスのライフスタイルに簡単にアクセスできるため、この地域で開催されるイベントは最初から最後までストレスのない体験になります。
街の歴史
植民地時代、バハ・カリフォルニアの海岸は船員たちによく知られてる街でした。
シルク、真珠、スパイスなどを積んだ交易船が、フィリピンのマニラとメキシコのアカプルコの間を行き交い、現在ではサン・ホセ・デル・カボと呼ばれている場所の近くの河口で、水と食べ物を蓄え、野生動物を狩るなどしていたのです。
その後、メキシコの海岸を南下してアカプルコまで旅を続け、そこで貨物はメキシコシティに送られ、そこからカリブ海側のベラクルス港に送られ、最終的にスペインに送られました。
フランシスコ・デ・ウロアが1537年に発見して以来、カボ・サン・ルーカスは航海のランドマークでした。しかし、海賊が出始め、その地理的に有利なポイントを利用するようになりました。
そして、1730年にニュースペインの政府が、ニコラス・タマラル神父にサン・ホセに要塞の設営と、イエズス会布教の任務を命じました。
1846年、サン・ホセは米国のメキシコ侵攻中に米軍に占領されました。しかし、将校ホセ・アントニオ・ミハレスが率いたメキシコ軍が、米軍を打ち負かし退却させたのです。街のメイン広場は、将校ホセ・アントニオ・ミハレスを祝い彼に敬意を表して、カボサンルーカス広場に彼の名前が付けられています。
その後、カボサンルーカスは水の豊かさで知られるようになり、1919年に、当時世界で3番目に大きいシーフードパッキング会社がこの街に目を付けました。しかし、観光地として発展し知られる様になるまでには、さらに数十年かかりました。
第二次世界大戦後、ウォータースポーツ愛好者の一部が、最大220キロ(485ポンド)の重さで、今日でもカリフォルニア湾の海に生息しているマカジキを発見しました。
この発見が、観光客を今までにないほど呼び込み出したのです。観光客は、主に狩猟や釣りに来て、1950年代に最初の高級ホテルが建ち、この地域のヤシの木に取って代わり始めました。
その後、1960年代と1970年代に、裕福な有名人の間でハリウッドの南約1,500 kmに最も高級な休暇の隠れ家があるというニュースが、瞬く間に広がりました。
そして有名人たちが波のように訪れるようになりました。エリザベス・テイラー、リチャード・バートン、ソフィア・ローレン、ミック・ジャガー、エルトン・ジョン、ジョン・ウェインなどの有名人の姿が見られる様になったのです。
現在の半島を横断する高速道路は1970年代に開通しました。そしてカリフォルニアからのサーファーと北の寒い冬から逃げる人々がそのビーチに押し寄せるようになりました。しかし、最初の空港が建設されたのは、この地域の開発がFONATUR(政府の部門のひとつ)管理となった1984年になってからでした。
この特筆すべき開発の後、大規模ホテルチェーンも開発を進め始め、観光の魅力を活用することに興味を持ち始めました。
1990年以降、サン・ホセとカボ・サン・ルーカスを含む「カボス」エリアは人口の増加が300%もみられようになりました。そして、観光市場の急成長、外国人観光客の増加、退職者用の3,000戸以上の住宅など、、今日の発展に繋がっています。
魅力いっぱいのロス・カボスにぜひ訪れてみてください!
イスラエル