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イスラエルです!

 

 

知っている方も多い「フリーダ・カーロ」

今回は彼女について取り上げます。

 

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フリーダ・カーロってだれ?

 

彼女の本来の名前は、マグダレナ・カルメン・フリーダ・カーロ・カルデロン(Magdalena Carmen Frieda Kahlo y Calderón)。彼女の父親はドイツ人で、フリーダ(Frieda)はドイツ語で「平和」という意味となります。

 

メキシコの画家として、同時代の他の偉大な壁画家へ思想を共有し、環境に影響を与えた彼女ですが、フリーダ・カーロとしては実に個人的で深い比喩を込めた作品を創りました。それは彼女の高い感性と人生の中で起こった特筆すべき出来事が関連しています。

 

 

生い立ち

 

彼女はハンガリーとドイツ人の子孫であるウィルヘルム・カーロ(Wilhelm Kahlo)の娘でした。この母親はオアハカ出身のマチルデ・カルデロン(Matilde Calderón)の4人娘の内の3番目の娘でした。

 

フリーダは約200の絵画、図面、スケッチを残しました。それらは彼女の人生を通しての、肉体的、感情的な苦痛や、夫、ディエゴ(Diego)との激動の関係を表すものでした。

 

1954年7月13日、フリーダ・カーロは『青い家(Casa Azul)』で亡くなりました。公式の死因は「肺塞栓症」でした。彼女の死は自殺の疑いがあったのですが、確認することは出来ませんでした。ただ、彼女の最後の日記には「出発を楽しみにしています。もう戻ってこないことを望んでいます。」と書かれていました。

 

彼女は18歳の時に大変な事故に遭いました。その時に、背骨、鎖骨、肋骨、骨盤、右の足全体を骨折しました。そして骨だけではなく内臓も傷つき、この時の怪我が原因で子供を持つことも出来なくなりました。

 

この事故の後、少なくとも32回の手術、コルセットやストレッチなどのリハビリを人生を通して経験することとなります。

 

22歳の時、ディエゴ・リベラ(Diego Rivera)と結婚します。その後さまざまな問題があり、離婚しますが、お互いの関係や愛情を見直し、再び43歳の時に再婚しました。1940年代後半の頃のことでした。

 

 

激動の人生を歩んだフリーダ・カーロ、後編につづきます。

 

 

イスラエル

 

 

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