¡Hola!

イスラエルです。

 

 

死者の日後編です。

 

Thumb_img_9675_1024_3

死者の日のお祝い

 

死者の日のお祝いの特徴の一つとしてか欠かせないのが、オフレンダと呼ばれる祭壇です。故人に対してのイメージを表す供物を供えた祭壇で、それぞれ深い物語と意味にあふれています。

 

伝統が今でも色濃く残っている地域では、この祭壇は10月28日に形になり始め、11月2日に最高の状態に達します。まず初日にキャンドルが灯され、白い花が供えられるのが一般的です。翌日、別のキャンドルが追加され、コップ一杯の水が供えられます。

 

30日には、新しいキャンドルを灯し、もう1杯の水と白いパンが供えられます。翌日には、季節のフルーツ(マンダリン、グアバ、オレンジ、アップル、テジョコート)が置かれます。

 

そして11月1日には、甘い食べ物やチョコレート、カボチャの甘煮(la calabaza en tacha)、花を供えます。故人の好きな食べ物、テキーラやメズカル(メキシコの蒸留酒)、ビールなどが供えられることもあります。

この期間の間はずっとコーパルという線香をたき続けます。

 

Thumb_img_9479_1024

死者の祭壇

 

伝統期には、祭壇には階層があり、それぞれの家族の週刊に応じて、2から3、または7つの階層に分かれます。今日最も一般的な形は2階層で、天と地の分割を表しています。3階層に分かれたものは、天と地、地下世界を表し、聖三位一体の要素とも呼ばれます。

 

死者の日に必ず食べられるのが、『死者のパン』(El pan de muerto)です。丸い形の土台に中央に帯が交差するような形状で、このパンには二重の意味があります。

中央のクロスが、キリストの十字架を表していると言われている一方、帯は死者の骨、ゴマ(ゴマがのっているものもある)は休息を見つけられなかった魂の涙を表していると言われています。

 

また、オレンジのマリーゴールド(cempoalxóchitl)とマジェンタ色のベルベットの花(別名、七面鳥の喉仏)をふんだんに使い、供え物の周りや墓地を飾ります。線香のコーパルのように、その花と香が死者の魂を呼び導くと信じられています。

 

他の習慣としては、死を暗示するもの、かつ身近なものとして扱う一端として、砂糖やチョコレートで作られた頭蓋骨の額に個人の名前を書いて供えたりします。

 

また、メキシカン・ヘアレス・ドッグ(ショロイッツクゥイントリ:Xoloizcuintle)の彫刻を置くことも習慣的です。この犬が、現世と死後の世界を繋ぐチコナフアパン川(Chiconahuapan)を渡って死後の世界のミクトラン(Mictlán)にたどり着くのを助けると信じられています。また、亡くなった子供たちの魂を慰める為ともいわれています。

 

 

Thumb_img_9834_1024

お墓へのお参り

 

死者の日には、故人の墓を訪れて掃除し沢山の花やろうそくで飾ります。地域や家族によっては、お墓に供え物などを置き、家族で集まって食事をしたり音楽を演奏したりして夜を過ごしたりします。この習慣は、豊かに残る伝統と多様性を表しています。

 

 

メキシコ人にとってとても大切な死者の日。

機会があればぜひ訪れて頂き、一緒にお祝いしましょう!

 

イスラエル

 

 

=================================
いつもブログをご覧いただきありがとうございます!

記事の内容が新型コロナウイルス拡大前の内容になることがございますが、皆様が安心してお越しいただけるようになった際に参考になることを願い、引き続き情報をお届けしていきます。

何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。

¡Hola!

イスラエルです。

 

 

メキシコで10月といば死者の日です!

  

Thumb_img_9464_1024

メキシコは大きな国なので、各街、各地域に独自の伝統、独自の暮らしや習慣があります。そんな中でも、全てに共通する伝統があるとすれば、間違いなく死者の日のお祝いです。

 

死者の日は、死者を称えるメキシコのお祝いです。この伝統はスペイン統治以前の時代から根付いていたものですが、今日ではカトリックの要素や現代的なタッチさえも取り入れたものになっています。

 

メキシコでは、死者の日は2日間あります。地域や歴によって前後しますが、基本的には11月1日が全霊の日として祝われます。この日に子供たちの魂が到着し、次の日の2日には大人の魂が到着します。

 

 

Thumb_img_9444_1024

死者の日の起源

 

様々な文化と歴史を通して、死と結びつくのは、反省、宗教的やスピリチュアルな儀式、答えの探求などで、それらは恐れや賞賛、時には答えのない結果を導いてきました。

 

スペイン統治前から、人間の魂は死後も存在し続け、死後の世界で食器や道具、食べ物などを使い存在し続けると信じられてきました。

 

メキシコでの死者の日のお祝いの起源は、アステカ(Aztecas)、マヤ(Mayas)、プレペチャ(Purepechas)、ナワ(Nahuas)、トトナカス(Totonacas)などのメソアメリカの先住民の時代にまでさかのぼることができます。

 

先祖の命を祝う儀式は、少なくとも過去3,000年もの間、これらの文明によって行われてきました。スペイン統治前の時代には、頭蓋骨を装飾品として保存し、死と再生を象徴する儀式の際に展示するのが一般的でした。

 

後の『死者の日』となったお祭りは、アステカ太陽歴の9ヵ月目(現在の8月初旬頃)に行われ、丸々1ヵ月間祝われました。このお祭りは『死の貴婦人』(現在は「ラ・カトリーナ」に相当)として知られる『ミクテカシワトル神』(Mictecacihuatl)が執り行い、亡くなった子供たちと親戚へと捧げられました。

 

スペインからの征服者が15世紀にアメリカ大陸に到着したとき、彼らは先住民の異教の慣習に恐怖を感じ、カトリックに改宗させようとして、カトリックの祝日のひとつである11月初旬の万聖節にこの死者の日のお祝いを移動させました。

 

 

非常に長い歴史をもつ死者の日、後編に続きます!

 

イスラエル

 

 

=================================
いつもブログをご覧いただきありがとうございます!

記事の内容が新型コロナウイルス拡大前の内容になることがございますが、皆様が安心してお越しいただけるようになった際に参考になることを願い、引き続き情報をお届けしていきます。

何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。

 

¡Hola!

イスラエルです。

 

およそ1か月前ですが、9月16日はメキシコ独立記念日でした。

1810年9月16日、メキシコがスペインからの征服を終焉させた日です。

 

Image1

 

独立運動のはじまり

  

独立運動を進める反乱には多くの原因がありました。スペインによる搾取、奴隷制、社会的圧力、クレオール(イダルゴやニュースペインなどで生まれたスペイン人)が政治に参加することが不可能であったことに加え、1808年にはナポレオン戦争によるスペインへの侵略がありました。 

 

このナポレオン戦争によるフランス軍の侵略と、スペイン国王の強制的退去に直面し、ニュースペイン(メキシコを含むスペインに征服されていたエリアの名称)の住民は自国の王国の防衛に参加することができませんでした。

 

メキシコ市議会は、スペイン国王フェルナンド7世を擁護するために軍事政権を建てることを提案しましたが、これは1808年9月にガブリエル・デ・イェルモ(Gabriel de Yermo)によって行われたクーデターにより阻止されました。

 

この時から、悪い副官政権を打倒し、フランス軍に投獄されたフェルナンド7世を“救う”ことを前提に、軍、市民、宗教グループの間で秘密裏に会合が行われるようになりました。

 

このいくつかの会合は1808年に当時のバジャドリド(Valladolid)、現在のモレリア(Morelia)で発見されました。この会合の一つは、文学集会を装って、ケレタロ―(Queretaro)にある治安判事ホセ・ミゲル・ドミンゲズとホセファ・オルティズ・デ・ドミンゲズ夫妻の家で行われていたため、『ケレタロ―(Queretaro)の陰謀』と呼ばれていました。

 

この『ケレタロ―の陰謀』は、サン・ミゲル・エル・グランデ(San Miguel El Grande)、現在のサン・ミゲル・デ・アジェンデ(San Miguel de Allende)で建てられた秘密の軍事政権と密接に関わっていました。

 

この秘密の軍事政権を率いていたのが、クレオール軍人イグナシオ・アジェンデ(Iginacio Allende)でした。また、イグナシオ、フアン・アダルマ兄弟(Igunacio y Juan Adalma)やマリアーノ・アバソロ(Mariano Abasolo)など歴史に残る著名な人物が召喚されていました。

 

 

Image3

 

独立記念日の祝い方

 

前日の15日の夜に、メキシコではよく知られている独立を宣言する雄叫びを上げて、盛大に祝います。この記念日をお祝いするため、メキシコ各地でイベントが開催されます。イベントでは遊具の屋台があったり、伝統的なメキシコ料理が出されたり、ライブ音楽が演奏されたりします。

 

この独立を宣言する雄叫びは『ドローレスの雄叫び』と呼ばれ、牧師であったミゲル・イダルゴ・コスティーヤ(Miguel Hidalgo y Costilla)が1810年9月15日の夜に行ったものと言われています。そこには、メキシコ解放軍を率いていたイグナシオ・アジェンデ(Ignacio Allende)と独立を進める反乱軍に参加していたフアン・アルダマ(Juan Aldama)の姿も共にありました。

Image2

 

この雄叫びは、グアナファトにあるドローレス教会の鐘をついて、独立戦争の始まりを宣言するものでした。この伝統は、今日でも教会の鐘を鳴らし、国旗を振りながら、次の言葉を宣言して行います:

 

メキシコ国民よ!

¡Mexicanos!

 

我々に祖国を与えてくれた英雄達よ万歳!

¡Vivan los héroes que nos dieron Patria!

 

イダルゴ万歳!*

¡Viva Hidalgo!

 

モレロス万歳!*

¡Viva Morelos!

 

ホセファ・オルティズ・デ・ドミンゲズ万歳!*

¡Viva Josefa Ortíz de Domínguez!

 

アジェンデ万歳!*

¡Viva Allende!

 

アルダマとマタモロス万歳!*

¡Viva Aldama y Matamoros!

 

国家独立万歳!

¡Viva la Independencia Nacional!

 

メキシコ万歳!メキシコ万歳!メキシコ万歳!

¡Viva México! Viva México! Viva México!

 

*それぞれ独立に貢献した英雄

Image4

この宣言に対して、熱狂的な人々も「メキシコ万歳!(¡Viva México!)」と返します。そしてパーティーと歌で祝います。

 

メキシコ各州でそれぞれ特有のお祝いがあり、どんな形であれ、この日はスペインの征服に対してメキシコの人々が立ち上がったことを記念し、メキシコ独立記念日を祝います。

 

こらからも9月16日を誇りをもってお祝いしましょう!

メキシコ万歳!

 

 

イスラエル 

 

 

=================================
いつもブログをご覧いただきありがとうございます!

記事の内容が新型コロナウイルス拡大前の内容になることがございますが、皆様が安心してお越しいただけるようになった際に参考になることを願い、引き続き情報をお届けしていきます。

何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。



HIS メキシコシティ支店

2024.03
loading...
テーマ一覧