¡Hola!
インターン生の中村です。
少し前の話になりますが、3月8日は世界女性デーでした。
ここメキシコでも大きなデモ行進が行われました。
今日は世界女性デーにちなんでメキシコを代表する1人の女性について書きたいと思います!
フリーダ・カーロの波乱万丈な生涯
フリーダ・カーロは20世紀のメキシコを代表する女性画家です。
繋がったまゆげとうっすらと生えた口ひげが特徴的なメキシコ人女性で、亡くなってから70年近くたった今もなおメキシコ中の女性から尊敬されています。
47年という短い生涯の中で病気、事故、複雑な恋愛等波乱万丈な人生を送りつつも素晴らしい作品を数多く残しています。作品のほとんどは彼女の壮絶な人生を感じさせる自画像です。
フリーダ・カーロは1907年、ドイツからの移民の父とメキシコのインディオの血を引く母の間にメキシコシティ、コヨアカン地区で生まれました。
彼女が6歳のころ、ポリオを患い足が不自由になります。さらに17歳の時通学中に事故に巻き込まれ、生死をさまよう重傷を負い、それ以降後遺症に苦しむ生活が始まってしまいます。
こうした経緯から彼女はベッドの上で生活が多くなり、痛みと退屈さを紛らわすために本格的に絵画を始めるようになったそうです。
その後絵をかきながら日常生活を送れるくらいまで回復したのち、メキシコを代表する画家ディエゴ・リベラと出会い、恋仲になります。二人の仲は急接近し、1929年に二人は結婚します。
この時フリーダは22歳で、ディエゴ・リベラは21歳も年上だったためあまり歓迎された結婚ではありませんでした。
結婚後も複数回の流産と夫ディエゴの度重なる浮気に苦しみますが、彼女自身も夫への当てつけかのようにアメリカ人彫刻家イサム・ノグチら複数人と関係を持ちます。
こうしたことが重なり1939年に離婚しましたが、翌年フリーダの提案により再婚し、1954年に彼女が亡くなるまでメキシコシティ、コヨアカン地区にある青い家で暮らしました。
フリーダの暮らした青い家
フリーダの生家であり、夫ディエゴ・リベラとの結婚生活を過ごした青い家は現在「フリーダカーロ博物館」として一般公開しています。
博物館では彼女の残した作品はもちろん、当時の生活の様子がうかがえるものも展示されています。
メキシコ人の心に生き続けるフリーダ
フリーダはメキシコを代表する女性。
メキシコシティを散歩しているとあらゆるところにフリーダが描かれているのを目にします。
それほど彼女の作品と人生はインパクトのあるものだったのですね。
たくましいラテンの女性の生きざまは多くの人の心を掴んだのでしょう。
中村
~毎週水曜&土曜に更新中!~
フリーダ・カーロの故郷、コヨアカン地区に行くツアーもあります!
もちろんフリーダの過ごした青い家にも行けちゃいます♪
気になる方はこちらをクリック!
===編集後記===
メキシコでも各地と同様に新型コロナウィルスの影響で外出などが制限されています。
メキシコシティブログでは引き続き水曜、土曜の更新でメキシコの情報をお届けしていきます。
普段通りの日常が戻った暁には、ぜひメキシコへまたお越しください!