¡Hola!
イスラエルです。
今回はメキシコシティの基礎情報を改めてご紹介したいと思います。
メキシコシティは、国の正式名称であるメキシコ合衆国の首都です。しばしばメキシコDFまたは単にDF(連邦地区)と呼ばれ、そこの連邦地区、またその地区が含まれる全領域を意味します。
メキシコシティは北米最大の都市であり、その広さと人口規模は、日本の東京やロシアのモスクワなどの都市と匹敵します。世界最大の都市の1つです。
メキシコ国家の中心として、社会、政治、学術、経済、観光、芸術、ビジネス、文化の中核であり、国民の生活と歴史の中で多くの重要なイベントの舞台となっています。そこには政治の力が集まり、豊かで広大なメキシコのコロンビア以前の歴史の発祥地でもあります。
メキシコシティの場所
メキシコシティは、国の中心に向かってあるメキシコ盆地の海抜2,240メートルに位置し、かつてはテクスココ湖が占めていた火山の山々に囲まれた高原にあります。
その形状は楕円形で、総面積は1,495平方kmです。行政的には16の都市に分かれ、その周りにはメキシコ州の37の自治体に囲まれています。
人口
市内の都市圏の人口は890万人に達し、人口密度は1平方キロメートルあたり約5,966人です。周りを含む都市部の総人口は、ほぼ2100万人に達します。この都市の住民は、メキシコでは「Defeños(デフェーニョス)」または「Chilangos(チランゴ)」として知られています。
行政
1997年以来、メキシコシティの住民は、自治都市として匿名性が守られたうえで都知事、州知事、市議会議員を直接投票して決める権利を享受してきました。2017年にはその政治憲法が公布されました。ここには、国立宮殿、国の連邦執行部の本部があり、1987年に世界遺産に登録されました。
成り立ち
メキシコシティは、14世紀頃に古代人のアステカ(Aztecas)民族(メキシコ帝国)がこの地域に定住し、México-Tenochtitlánという名前で設立されました。
今はいくつかの遺跡が残っており、これらは彼らの神話と宗教的思想を表現するものだったと言われていますが、テクスココ(Texcoco)湖の最初の入植者の成り立ちは不明であり、オルメカ(Olmecas)民族やトルテカ(Toltecas)民族だった可能性もあると言われています。
確実なこととしては、アステカ民族がトラテロルコ(Tlatelolco)民族とトラコパン(Tlacopan)民族と三方同盟を組み、アステカ帝国としてかつてこの土地を支配していたということです。
それも1520年、スペインからの侵略戦争でたくさんの血が流れ敗北し、終焉を迎えました。
それ以来、テノチティトラン(Tenochtitlán)はニュースペイン(Nueva España)に改名され、総督として統治したへルナン・コルテス(Hernán Cortés)によって再建されました。その後、この都市はニュースペインの副王室の首都となり、1821年までその統治が続きました。
まだまだあるメキシコシティ基礎知識!後編に続きます~
イスラエル
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